台湾生まれの日本人。湾生わんせい


故郷は台湾の思いが強烈で、私のようなデラシネ、根無し草にはなかなか理解出来ない感覚です。


 又、曾祖母の墓を探す為に、日本語を勉強し両親と日本にやって来た若い台湾女性。実は、祖母は経済的事情で養女に出された方でした。

実の母親は日本人女性。曾祖母に当たります。台湾で暮らしていた時に生活に困り


やむなく娘さんを台湾の方に養女に出したのです。

そしてそのことで実の母親に複雑な感情を抱いていたのです。養女としてつらい生活ではなかったようでしたが、やはり「捨てられた」という思いは強かったようです。それを感じ取った母親である中年女性は、娘を通じて日本に帰国して他家に嫁いだ娘さんから言うと曾祖母の軌跡を探して奮闘。


 やっと岡山で佐藤さんという名前でお墓が存在することを突き止め、娘さんの両親とお墓を尋ねることにしたそうです。

岡山の方の尽力によりお墓もみつかり、そして役所に行って、その曾祖母の方が実は祖母の方を実子として記載していたことがわかり家族とともに祖母の方は号泣。

恐らく養女に出した母親のせめてもの親心だったのでしょう。愛情を感じたからでしょうか。養女に出した曾祖母に対する複雑な感情に変化が現れたようです。

映画の演出かもしれませんが、見ていた聴衆の方にも感涙にむせぶかたもいました。


 湾生という日本人の存在は、台湾の方にも同朋という意識をもたらし、訪台後は日本語、台湾語(みんなん語)でお互いを竹馬の友として涙ぐみ、家族を含めて飲み、食べ歌い、絆を深められたようです。

海外に出ても、そこで絆を高める事は大事なことですね。アメリカでもヨーロッパでも東南アジアでもアフリカでもいいのです。絆を高める事は大事ですね。

在る日系二世の富豪でやんちゃな近藤藤太氏「人生の旋律 死の直前、老賢人は何を教えたのか? 単行本 – 2005/7/20神田 昌典 ()


の話の中で出ていたニューヨークでの幼い日々の葛藤、そして米国の大学を出た後日本に帰国してそのまま日本軍へ入隊。朝鮮半島や満州で共産軍ゲリラ狩りをしていた話や朝鮮人部下との葛藤、朝鮮人の部下の母親との葛藤。そして敗戦を迎えてで米進駐軍を通訳、敗戦国の軍人として対した時の話。

処罰する米国の軍人がなんと大学の同窓生であったために会話は昔話へ。そして戦犯リストから近藤藤太氏の名前をビリビリと破いて捨てた話。嘘みたいな話がのっていました。

嘘かまことか今では真偽は闇の中です。それほど幼い時の付き合いや若い時の付き合いは大事かと理解した次第です。

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