神奈川県川崎市の歯科、新丸子西口歯科です。
2013.10.20.
夏の暑い日のインドネシアのお爺さんとの出会い
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ある夏の日、どう見ても日本人に見えない東南アジアのお爺さんと話す事になりました。通訳の女性は日本人でインドネシア在住、そのお爺さんは会社の社長さんでした。
通訳の方のお話では、インドネシア独立の為に現地に残った日本人が独立戦争を共に戦ったそうです。
そしてこのおじいさんは、インドネシア独立義勇軍(PETA)の元戦士だったのです。彼を指導してくれた日本人の軍人が祭ってある神社にお参りするためだけに夏の暑い日に慰霊しにくるそうです。
もう90歳にもなろうかというお爺さんでした。死ぬまでお墓参りはかかすつもりはないとお話されて、涙が出たのを憶えています。
昭和16年インドネシアに到達した日本軍はわずか9日間?の間に確か1000人とか1500人の日本軍が現地オランダ守備隊15000人?を蹴散らし降伏させたとか。
丁度私の患者でそのインドネシア攻略戦に参加した心優しいお爺さんが話をされていました。当時の東南アジアでは、支配者が教育どころか何の投資もしていなくて貧しい奴隷のような生活で、白人との結婚はおろか食事の同席もできず、白人女性は植民地の人たちを動物としか見ていないので平気で目の前で裸でシャワーを浴びていたりしていたそうです。
日本は戦争に負けてかような奴隷になることを潔しとしない。だから勝つ見込みもない戦争に突入したとも言えます。
ただ、初戦の勝ち戦と違い、大本営というエリート集団の戦略と人命軽視の行いが敗戦へと転がり落ちる昭和18年前後から招集された負け戦では、武器も食事もありつけない全滅するまで戦うしかなかった年代の兵隊さんは戦後も戦前の悪口ばかり言っています。
そして無策により焼け野が原となった戦後生まれの世代は、貧しさと共産主義やGHQの洗脳作戦であるwar guilt information programにより自国を悪くしか言わないのです。
60万人も強制連行されてシベリアの強制収容所で水とパン一個というむごたらしさでシベリアやその他で建設に従事させられた日本の軍人さん。一割以上が餓死に近い形で亡くなられました。私の近くにもソビエトによる強制連行から帰還された方がいたのです。
戦後も各戦争地域での戦争犯罪というでたらめな理由でリンチ的に処刑をされた軍人さん達。地元の方々が助命嘆願をしても即死刑という無茶苦茶な処置。
戦後も独立してから世界50カ国近い国々に賠償金や戦後賠償をし続けた戦後の日本。約束を守る日本人がいたから現在でも世界で信用されるのです。日本を悪くいう国は世界に殆どいないのはそう言う理由からなのです。
平和条約や基本条約という国と国との国際法での“和解”をしたあとも何度も蒸し返すとか、世界的には普通の概念である、お互の国の宗教を批判しない(ヨーロッパの宗教戦争終了から16世紀のウエストファリア条約が結ばれて他国の宗教活動には干渉しない)は世界的な常識なのです。
どこの神社やお寺に行こうが外国政府が文句を言うのは、世界的な常識から外れた野蛮な国のやることなのです。内政干渉なのですね。信教の自由は今は世界で普遍の原理なのですね。
こういう事をわからない外国やマスゴミから目を覚ますことが大事なのです。